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2021.3.7 お知らせ

\開催報告/ カマクリ2021最終回!第6回:開発好明さんの回 演題「アート・アクティビズム」

2月27日(土)に、今年度の大トリ!
開発好明さんのレクチャーを、宇都宮・釜川沿いのビルトザリガニ・スタジオからオンラインにて配信しました。

スタート前の打ち合わせやカメラテストの際に「僕は小心者で緊張しいなんですよ。途中で中座してトイレに立てこもったらごめんなさいね」と、開発さん。
実際は、司会を務める「釜川から育む会」の代表(中村)が中座してトイレへ行くというハプニングも。失礼しました!

そんな小ネタは横に置いて、講義内容の振り返りです。
冒頭で、今回タイトル「アート・アクティビズム」についてこんなお話がありました。
「アクティビズムは、積極行動主義。そこにある問題に対して、そのつど、抽出して作品化する。右翼的でも左翼的でもない。
かと言ってニュートラルということでもない。
その都度「必要なこと」を作品化する行為」だと捉えている、と。

さて、以下は例によって頭出し的に内容をご紹介していきます。

1プロフィール的なお話
◎開発という名字についてについて
明治初期「education」をどう訳すか、福澤諭吉(「開発」だ!)と、森有礼(「教育だ!」)と、論争があった。同級生たちからも本名ではないと思われていた。
◎大学生の頃から今までの「収入」と「やる気」の相関を振り返るグラフを披露。経済状態とやる気が一致してくるまで20年かかった。「N Y滞在から帰国して、友達の家の「キッチン」に居候。友達が仕事から帰り冷蔵庫を開けるたびに、ドアが僕の足に当たる!」「震災直後・・自腹で活動、経済的に大変だったけど精神面が充実
していた。
◎発表する場所の変遷
学生の頃:画廊、美術館だけ→次第に広がりを。ネット上→美術館以外のスペース→学校→地域→そして震災後にまた新たな広がり。
◎そもそも美術とは?アートとは?
「僕は、あまり小難しく考えていなくて、スランプになった時は、手を動かす。そこが原点、立ち戻る場所」

2 ライフワーク
人に見せる必要もなく、ただ、日々やっていること
◎ラインドローイング:暇な時間にラインを描き続ける。これは苦しくなってやめた。
◎レシート日記:レシートをノートに貼って、朝、夕、日記をかく。
◎自分の顔を写真にとる。久しぶりに会う人に老けたねえ、と言われる。会っていない時間の顔写真を見せるために撮っている。

3 アートワーク
多彩&多才な作品やパフォーマンス、アートプロジェクトの話を、大学時代から一気に話してくださいました。
◎バブルが弾けて以降は、展覧会よりワークショップに予算がつくように。
「日本の美術教育の中で「ちょっとおかしいな」と思うことを、子供たちが少しでも回避できるようなワークショップを考えて実施したい」
◎まちおこし:地域と関わる。
寂れた町にアーティストが入って何かやってくれませんか、というお誘い。
・2001年から始めた「39アート」
・七夕オルグ(仙台)さくらT V (子供たちと)青空クローク(ドイツ)
・ドラゴンチェア(府中市)
ドラゴンの頭を作り、それにつながる「椅子」を子供たちがダンボールで作り、どんどん繋げていく。市内の小学校を巡回して、10年も続いている。
「僕は、大人数でひとつの大きいもの作ることができない。一人でちゃんと作りたい。これは、「個」でちゃんと作る。そしてそれが繋がると大きな作品になる、というプログラム」
・かまぼこフェイス
・100人先生(三宅島などで開催)
「僕が作らなくても、僕が介することで、地域の人たちが動く、作る、その環境や仕組みを作る」
・モグラT V:収録スタジオとして土木作業で地下室を作った。
・種子島「ロケットマップ」
・東京の八王子で。小学生の作品を大学に、大学生の作品を小学校に。交換して1年間、見せ合う試み。

4 アクティビズム
震災前は、稼げないアーティストと稼げるアーティストが混在していたと思う。
震災直後、明確に分かれた。コマーシャルギャラリー系、 アクティビズム系。
◎デイリリーアートサーカス
被災地・仮設住宅を回る。福島の人と出会い「福島にきてくれないんですか?」と問われた。
飯館村には「どうしてこんなに悲しいんだ」という現実があり体験があった。政治家こそ来てほしい。
◎政治家の家
政治家の家をつくり、ひとりひとりホームページを見て招待状を出した。来てくれるとは思っていない。僕の招待状を見たことで、何かこうざらりとした気持ちを感じたりしてくれたら、それでいい。クレームの電話もいくつかあった「うちの先生に、なんという失礼なものを送ってくるんだ!」。
政治家の家を作ったことで、地元の神楽を復活させようという人たちに呼ばれたり、海沿いの人たちの言葉を集めるプロジェクトをビデオで撮ったり、南相馬で「うまままつり」を始めたり、一回、地域に入ったことで、そこからまた必要とされることが生じて、僕がお手伝いしていく。そんなスタンス。
◎遊べる「やきもちシェルター」
いざ!という時のシェルターを兼ねる遊具を公園に作る計画。建築家や物理学者の先生に相談しながら計画を進め始めた。この話、一般の人に聞いてもらうのは、今日が初めて!
僕のアクティビズムの活動の締めとして、このことをお伝えしたい。
◎最後に
20年前に、今のような自分になろうとは思っていたわけではない。とにかく、作りたい!という欲求があって、お金がないから、パフォーマンスだ!となって、誰かを助けたい!「というモチベーションがあって、売れたい!というところから離れながら、いろんなものにぶつかったり、人との出会いがあったりして・・・、そして、今日のタイトル「アート・アクティビズム」という立ち位置にいます。

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レクチャーの後は、中村との対話と視聴者の皆さんからの質問に答えていただく時間でした。
中村からの「作りたいものを作っていた初期から、まちづくり、教育、東北への関わりへと移り変わる中で、考え方の変遷はありましたか?」という問いに、開発さんは、例えば・・と前置きして、こんなことを話してくれました。

「福島のプロジェクトは、アーティストとして我を通すのではなく、相手の話を聞くことから始め、それが中心です。例えば、地元の人たちが演じる獅子舞は、それを被って歯で押さえていて、けっこう大変。それを改善するために「発砲しスチロールで作りましょうか」と・・・。アーティストとしてではなく、地域の人が普段抱えている困りごとや疑問が出発点」

参加者からも、チャットでさまざまな質問が寄せられましたが、「いろんなプロジェクトをされていますが、やっぱりお名前が開発だから?」との問いも!
開発さんいわく「うん、名前は重かったねえ(笑)。小学生の頃は「未開発」と呼ばれていたんだけど」。
中村から「アートと教育の関係、というと違うかな、アートと開発の関係、というふうに考えるとよいでしょうか?」
開発「やっぱり経験なんですよね。経験、体験の学習をしないとわからない。自然に見てもらうことを積み上げていく。それで初めてわかってくる。デイリリーアートサーカスで東北の仮設住宅に行った時、僕らが運んだ、空気でフワフワしてる象。あるおじいちゃんが、それを触って「これでいいんだよ」と、しみじみ言ってくれた。やって良かったと思った瞬間です」
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深いところでも、新しい「気づき」が多いレクチャー。
開発さん、ありがとうございました。

今年度、視聴やSNSでの発信にお付き合いくださった皆様も、ありがとうございました。

来年度のカマクリの活動にもぜひ、ご注目ください。

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